加害者意識

昨日たまたま原発関係のページを探していて、日本とドイツの差は加害者意識の教育の差というコメントを2ちゃんねる原発関係の過去ログで見つけて、加害者意識という言葉が頭に残って離れない。

原発の使用済み燃料は再処理せずそのままキャスクで空冷で長期間保存する方法と、再処理してプルトニウムを取り出す方法の2種類がある。日本は過去、使用済み燃料の再処理をフランスのラアーグ、イギリスのセラフィールドの工場に依頼してきた。仏、英どちらの工場も、兵器級プルトニウムを生産する核兵器開発のために建設された軍の秘密工場であった歴史を持つ。再処理では燃料棒を切断し、硝酸に溶かし化学反応により、プルトニウムを取り出す。残りは濃縮され高レベル放射性廃棄物となる。再処理工場は稼働すると海と空へ放射性物質を年間で兆〜京ベクレルのオーダーで放出するため、環境を著しく汚染する。また万が一再処理の工程において電源が失われると取り返しのつかない大事故となる。

日本国民は福島第一原発で京ベクレルのオーダーで海洋汚染をする以前に、すでにフランスとイギリスの海と空を著しく汚染することに加担してきたのである。六ヶ所村に建設した再処理工場を本格稼働させれば、フランスとイギリスの海は汚さないで済むが、今度は日本の近海を汚染することになる。六ヶ所を止めたとしても、フランス、イギリス、ロシアといった外国に再処理を依存する限り、地球のどこかで海と空は汚れつづけるのである。

日本が再処理工場を持つということは、東アジアの諸国から見れば、日本が兵器級プルトニウムの工場を持つことも意味する。これは再処理工場の建設競争を招き、競争の結果、さらなる海洋汚染、大気汚染がもたらされることになる。また、地震国である日本の再処理工場は、いかに耐震設計を施したとしても、一度事故がおきてしまえば破滅的な結果につながるであろう。

被害者を装った無自覚な加害者ほど困ったものはない。

どんなに痛くてもそれを腹の底から直視しよう。

マグニチュード7の地震で壊れない原発高速増殖炉・再処理工場・最終保管施設の4つを日本国内に建設することは夢か幻でしかない。

島国が大陸国家と核戦争をしても圧倒的に不利であり、核武装の意味は、大陸国家に対して一発ぐらいなら仕返しをお見舞いできる。その程度の意味しかない。そしてそのとき、島国は人の住めない廃墟となっている。ならば、プルトニウムなど持つ意味はないではないか。仕返しなど意味はない。都市の1、2個失われても平気な大陸国家相手では抑止力になりもしない。

核武装と再処理工場についてはこれを放棄する。

超・超省エネルギーの食物自給国家が日本の生きる道である。国防は通常兵器で持つ。国土を守るのに、米国の若者の血を流してはならない。駐留は許してもよい。軍港も貸して良い。しかし、主体はあくまで日本である。