インド人との仕事

インドのソフトウェア会社と約9ヶ月のプロジェクトを
進めたことがある。なるべく簡明に当時考えたこと。そして今どう考えるかを記したい。

1.食習慣の相互の違いを面白がる人、無関心な人、さまざまである。
2.プロジェクト中の結婚休暇に対する考え方の違いは、感情的な軋轢をつくった。しかし、今考えるとこれはお互い様だろう。
3.仕事のプロセスの議論に序盤の時間が費やされた。
4.中身の仕様書はまともなものが作れなかった。意思疎通、認識のズレの有無の確認に労力がとられ、中身を考える時間がなくなっていった。また、インド側に説明する以上に、日本側への説明にも苦労することになる。
5.相手も人間であるという基本前提が欠けがちである。相手の能力に夢をみて、現実との乖離に落胆したり、失敗の原因を全て相手にもとめたり。
6.未知のものは面倒だ、関わりあいになりたくないという心理は、日本人特有の日本側の問題と当時は考えていた。今は、この前提も疑うべきと考えている。インド人にもアメリカ人にも、関西人にも関東人にも村意識はあるだろう。また村意識=旧悪と決めるのもまた危険だ。
7.失敗すればいいと思っていたと信頼する人に言われ落胆したことがあった。しかし、今考えると、彼には彼の守りたい正義があったのだと思える。
8.プロトタイプを作りたかったがかなわなかった。今考えると、それこそが本当にやるべきことだったと思える。

簡明ではなくなったので整理する。

・ワーキングコード(実際に動くコードのサンプル)は強い。ちょうど服飾業界が、作って欲しい服の見本を委託先の工場に見せにいくように。
・ソフトウェアは設計が全てだ。製造(コンパイル作業)は既に自動化されている。世界のどこでもこれは同じである。
・ソフトウェア開発は設計の共同作業である。相互の実力が問われる。
・相互の実力は、会社名、個人名、過去の製作から想像することができるが限界がある。もし、プロジェクトの早期に実力を知ることができれば、相互理解が進みやすい。
・人間の言葉も文書も、習慣、暗黙の文化に頼るところが多い。
・なぜ他人同士が、共同作業を行うことができるのか。そこには共通の目的がある。互恵的思考は捨て去っても構わないのではないか。