人らしくあること

人のこころにまつわることで私自身が動かされたことに関して

硝子戸の中」は夏目漱石の晩年(とはいえ40代後半)に出版された作家の想い出がそのまま文学作品となっている。深い傷を心に負った女が漱石の家を頼って尋ねてくる日がある。女は身の上を告白し最後に、「もし先生が小説を御書きになる場合には、この女の始末をどうなさいますか?」と問いを発する。この後の二人の行動は、漱石とその女の「こころ」を物語っているように思えた。

漱石をよく引用する日本の数学者の岡潔は「情緒と創造」の中で人が修羅、畜生に落ちないためには感情で動くこと、頭で動くことを戒めなければならないと述べている。やろうとするとむつかしいのだが、こころが頭に命じて体を動かすというようにせねばどうしても衝動的な直接的な行動につながる。それは時として人を深く傷つけることになる。

情緒でも、理知でもなく、というと手も足も出ないが、人に向き合うだけでなく、

自分の中も覗いてみること、そこには恐ろしいものがあるかもしれない。

しかし、それをせずに人は人になり得ないのではないか。