漱石の考える未来の教育

漱石文明論集』三好行雄編(岩波文庫)には夏目漱石明治44年(1911年)に長野県会議事院教育会に招待されて行った講演の記録が収録されている。演題は「教育と文芸」である。

この講演の最後に、未来の教育は浪漫主義と自然主義の両者の調和にあると漱石は予測している。

この浪漫主義とは感激や情緒を重視する方式、インスピレーションを先にあたえる方式である。(漱石をよく引用する数学者の岡潔は子供にさきにポテンシャルエナジーを与えてしまい、あとで運動エナジーに変える方式の方が自然の摂理にかなっていると言っている。具体的には寺子屋での教育方式である。)

一方の浪漫主義と対比される自然主義とは、日本では明治以降に顕著にあらわれた方式であり、自然科学が明らかにする事実に基づく教育方式である。

浪漫主義は君子を生み出そうとした、しかし、科学的根拠のない空想に走る弊害がある。一方で自然主義は事実をありのままに明らかにする、結果として小人を生み出してしまう弊害がある。(漱石自身は「君子」「小人」という言葉は使っていない。筆者が岡潔の言葉を借用しただけである。つまり人間を崇高な聖人とみなさず、ありのままに見すぎることが、時として理想を失わせることにつながるという意味ではないか?と筆者は理解している。)

漱石の予測は、自然主義の反動から浪漫主義が復活するのではなく、全く別のもの、新浪漫主義、それは空想ではない現実的な達成しうる目標に基づくものが登場するだろうということである。そして、時と場所の要求に応じて自然主義六分浪漫主義四分というように両者の調和が図られることになると予想している。

ここまで講演の内容を紹介したが、筆者が面白いと感じた点を列挙させていただきたい。

1. 寺子屋・旧制中学・高校の復活は保守系の言論人がしばしば願望として発言することであるが、1911年の時点で、漱石は未来はたんなる反動ではおわらないと予測しているように思われること。

2. 浪漫主義と自然主義の調和に未来があると予測している点。漱石は、人に向上の意思がある限り、浪漫主義は無くなることはない。そして真の価値を発見する自然主義も無くなることはない、だからこそ調和が今後の傾向となると説明している。

最後に疑問点、不思議に思うことを列挙したい。

疑問1. 人の向上の意思を生み出す源はなんであろうか。情緒、心の領域に近いものという仮説は正しいのだろうか。

疑問2. 自然主義を一辺倒にやるだけでは憧れ・創造のようなものは生み出され得ないというのは本当だろうか。

疑問3. 漱石は約100年前にこの講演を行った。漱石がタイムマシンにのって2011年の日本の教育を見たならば、ロマンチシズムとナチュラリズムの調和の具合についてどのように審判するのであろうか(^^)

疑問4. 一番大事な問題。調和とはどのような姿であろうか。

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2010/10/10 誤記訂正 四部⇒四分 自然主義六分浪漫主義四分