合理化と多様化

大阪市大二部廃止に関する市議会での答弁の様子を下のURLで見たのだが。。

http://osakaitidai.blog36.fc2.com/

「市民ニーズの多様化に応えること」とある市で市立の大学の夜間部を廃止することとは話がつながりません。

ニーズに応えるという思考の仕方がそもそも危険なのかもしれない。患者のニーズ、学生のニーズ、市民のニーズ、どれも気色悪い言葉です。

米国人のように憲法を自ら作った国ならば憲法を持ち出して教育機会均等の精神や平等の精神に反するということで怒るだろう。キューバ旧ソ連ならば、その非効率性はここではおいておくとして、教育や医療の平等はそもそも当たり前である。かつてのイギリス人ならエリート精神と女王へのプライドでなんとかするところだろう。

日本人はご先祖様に恥だといえば真面目になる人種だったが、今は民間も役所も私みたいなサラリーマンばかりの国家なので、理念や原則よりも自分に与えられた役割を果たせばそれでオッケーとなってしまいがち。天皇陛下に皆で従うというやり方も今はもう通じない。

説明責任という言葉が先の答弁で出てくるが、隠しておきたいこと、触れたくないことは説明しないで済ませておき、でも自分の役割は果たしましたよといえるようにしておくことが説明責任を果たすことである。と言う風に取り違えられてしまっている。

じゃぁどうすんのよ。

逆の発想で昼間部は別の大学に統合して、夜間専門の大学にする。こりゃむちゃくちゃか。

明治のように建学の精神あふれる人が大学をつくる時代でもないし。

海外に散らばったポスドクを呼び戻して昼間は研究、夜は教育と、できたらいいんだけど、お前やるか?といわれたらつらいね。

でも大企業は残業禁止の風潮で給料減る一方だから、副業オッケーになって昼間は会社、夜は夜学の先生ならやりたいな。