日本の税制のわくわく化

下記の論文を読んで考えたことを記す。
http://www.geocities.jp/mirai200107/index.html#p1

朝鮮特需など、日本が他国の戦争で儲けて復興した時代背景も考慮しないといけないが、税制の累進性と経済のダイナミズムに関する一般の理解とは逆の史実があるという意見として面白いと思う。

米国はいま、オバマ政権が増税に向かおうとしている。レーガン、ブッシュの減税、クリントンオバマ増税、というようにダイナミズムがある点が興味深い。日本は戦後、池田政権が増税を行った以外は、中曽根政権、竹下政権、橋本政権、小泉政権と一貫して段階的に所得税を減税してきた。

平成元年の消費税導入とそれにともなう所得税減税が大きな転機であった。当時のマスコミでは脱税、汚職が一番のニュースであり、消費税ならば税の網から逃げることはできない、巨悪をやっつけられるという論調があったことを記憶している。その効果を認めないわけにはいかないが、司直の問題と税制とが入り混じってしまった印象もある。

ここでは税制の根本に立ち返りたい。財政の健全化のために税制があるわけではない。財政の健全化は否定しないが、そのために消費税をアップしようというのでは対症療法に陥る懸念がある。税制とは古来から国家が持つ強制力をもった徴収機能であり国家の目指す姿にお金を使うという機能を持つ。

敗戦した日本が米国から学んだことは、フォードの大量生産だけではない。日本より所得税率が高く平等性が高かった当時の豊かな米国社会に、戦争で勝てなかった、敗北したという事実であり、その過程で米国の憲法と税制を導入した。敗戦で日本はより平等な社会を目指したと私は理解している。

所得税をあげれば金持ちが逃げ出す、経済が停滞するという意見もある。では所得税を極限まで下げたモナコリヒテンシュタイン、スイスは経済的にうまくいっているのだろうか? 日本が目指す道はシンガポール、香港のような面積の小さな都市国家であろうか。

それは違うというのが私の意見である。日本には東京、名古屋、大阪の太平洋に面する都市圏以外の地方がある。国家は地方を切り捨てにできない。民間の視点では企業は人減らししても許されるが、国家の視点では人減らしされた人を養うコストが増えるだけである。同じように都市が地方を見捨てると、都市のコストは減るが国家のコストは増える。

今の日本に必要なのは真の意味での資本主義者、キャピタリストであると、途中の議論を省き、きわめて乱暴で申し訳ないが、述べさせていただきたい。金持ちでなければキャピタリストたり得ないのは事実である。しかし、自分とその家族の老後の年金、遺産に頭がいっぱいで不安を抱えた金持ちではキャピタリストたり得ない。お金は持っていても留まっているだけで流れを生まないからだ。そしてお金は流れれば流れるほど増えるという不思議な性質がある。

平等社会のほうが、安心してリスクマネーを使える。矛盾している、パラドクスかもしれない。しかし、そんな社会のほうが、面白そうだ、わくわくしそうだと感じるのはなぜだろう。私は日本という国にうまれた以上、日本に暮らす人がわくわくできる社会にしたいと考えている。税制改革、やりませんか?